アトラクト

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お茶の時間
何気ない日々の暮らしの片隅に
音楽が息づいていたら素晴らしいことだと思います

お茶の時間 -音楽の捧げもの- Web連載 第1回

年齢から来る脚の衰えと、最近突如自身に課した大いなる?目的達成のために、夜の10時ぐらいから家の近くを走るバイパスに出て、電車道までの往復約40〜50分ほどの距離を、かつて読んだ絵本のタイトルのように、「歩く速さで」ゆるゆるとウォーキングを始めた。これまでも時々、気が向けば同じルートを歩いていたので、私の日常に加わった新しい風景というわけでもない。ただ、ウォーキング後にスクワットのメニューが増えたのと先の目的達成のために、一連のこのタスクをやり抜こうといった心持ちが、以前とは異なるほど高いのです。

この頃(12月の末近く)の夜間は南国高知といえども相当に気温が低い。防寒対策は万全のつもりでも、かなりの着膨れ感は否めないようだ。フード付きのジャージの上下を着、その上から防寒用のナイロン製の上下トレーナーを重ねて(つまり2枚重ね)マスクをし、ヘッドフォンをつける。次にヘッドホンを押さえるためにニット帽子を被り、さらにその上から先に着たジャージのフードで覆う。もちろん両手にはニットの手袋だし、おまけにマフラーまで巻いている。一度鏡を覗いてみる必要があるかもしれない。

スポティファイのお気に入りをヘッドフォンで聴きながら、ここからがテクニックなのですが、スーパーやコンビニの小さめのレジ袋にスマホのライトを点灯して入れる。
こうしてレジ袋をゆらゆら、ぶらぶらと揺らしながら歩くと、袋の中で程良い加減に光が拡散され透過するので、かなり視認性の高い夜間用のウォーキングライトに変身する。

先日には、バイパスで信号待ちをしていたパトカーの警察官が二人、興味を示すどころかかなり鋭い目線で、この袋と私を追っていた。「追跡24時」みたいなものですね。けれどそのままスルーとなったので、特に怪しくは思われなかったのだろう。これで鏡を覗く必要もなくなったし、どうやらこの夜をもって、冬季、極寒の私のウォーキングスタイルは完成されたことになる。

ロシアのウクライナ侵攻が始まって間もなくの頃、スポティファイに飛び込んできた曲、マリア・シュナイダーのWalking by Flashlight(Thompson Fields Version)。こんなシチュエーションでさえ聴かなければ、もう少し異なった余韻を私に残してくれただろう。以来、少し静まりたい気分の時にはこの音楽を聴くが、今もって彼の国や国民の悲哀がまずよぎって来る。安寧の気分で聴ける日の来るのはいつのことだろう。

先日もスポティファイに、bar buenosairesにコンピされている聴き覚えのある曲が流れてきた。あらためるところalmaという楽曲で、好ましい音色のトランペットはPaolo Fresu。ジャキス・モレレンバウムのチェロの音も相変わらず冬の乾いた胸に染みる。

Paolo Fresuの初期のアルバムはほとんど品切れの状態で、CD派の私はどうしてもCDが欲しい。音楽の師匠であり、本ジャーナルにもコラムの執筆をお願いしている山本勇樹氏に尋ねてみたところ、ドイツのレーベルに彼の良いアルバムがあるのでそれを探してくれるという。朗報を待つことにしよう。

そんなこんなで心地よい音楽をヘッドホンで聴きながら、夜のウォーキングに勤しんでいる今日この頃です。
心持ちは依然として高く、もちろんスタイルも相変わらずそのままで。