Quiet Corner -心を静める音楽集- Web連載 第15回
一昨年の秋、アトラクトの山原会長から一通のメールが届きました。そこには「久しぶりに音楽イベントが実施できればと考えています。フリッツ・ハンセンのショップにカフェができたり、あと音楽の好きな新人も入社したので、ぜひ。」という嬉しいメッセージが書かれていました。最後に、音楽イベントを行ったのは、たしかバー・ブエノスアイレスのコンピレーションCD『地中海と室内楽』の発売タイミングだから、2017年5月のことでした。もちろんコロナ禍もあったので、気が付けば随分と月日が経っていました。その後、メールでやり取りしながら打ち合わせを重ね、山原さんはじめ、スタッフの皆さんのご協力を得て、ついに昨年6月、「レコードで聴く、クワイエット・コーナーとバー・ブエノスアイレス」が実現に至りました。当日は、バー・ブエノスアイレスを共に活動する吉本宏さんも加わり、僕たちの出会いを発端に、現在に至る活動までを時系列に追いながら、それにまつわるレコードをかけたり、当時のエピソードを交えた内容のトークをしました。ご来場の方々には、この場を借りて御礼申し上げます。ただ、当日は都合が悪くどうしても行けなかったり、遠くにお住まいのため移動が難しい、といった声もあったので、今後、この紙面では、そのイベントの時の内容を連載式に書いていければと考えています。
僕の音楽元年は1993年の高校一年生の時です。当時、アシッド・ジャズや渋谷系と呼ばれる音楽を夢中になって聴いていました。そんなある日、とある雑誌に掲載された「フリー・ソウル」というコンピレーションCDの存在を知ります。このCDの監修・選曲を手掛けたのは橋本徹さんで、その後、渋谷にカフェ・アプレミディをオープンさせて、カフェ・ミュージックの一大ブームを巻き起こし、現代に続くライフスタイル系ミュージックの先駆者となる方です。この「フリー・ソウル」には、70年代周辺のグルーヴィーでメロウなソウル・ミュージックを中心に、シンガー・ソングライターやジャズ、ブラジル音楽が収録されていて、そのどれもが初めて聴く趣味の良い音楽ばかりで衝撃的でした。また同じ頃、橋本さんが編集を手掛けたディスクガイド本「サバービア・スイート」も手に入れることができて、むさぼるように繰り返し読み、そこに紹介されたまだ知らぬレコード・ジャケットを眺めながら、どんな音楽なのかと想像を膨らませる日々を過ごしていました。これが僕の音楽人生の転機であり、「フリー・ソウル」と「サバービア・スイート」との出会いがなければ、きっとクワイエット・コーナーもバー・ブエノスアイレスもなかったと言えます。
Various / Free Soul-Impressions
Joyce / Feminina
Bob Thompson / Mmm, Nice!
この「サバービア・スイート」の執筆陣の一人として参加していたのが吉本宏さんです。また吉本さんは、当時、橋本さんが監修を手掛ける、再発CDの多くのライナーノーツも担当していました。だから僕はCDショップに入ると、パッケージの帯に記載された吉本宏という名前を探しながら、お目当ての再発盤CDを物色していたのです。吉本さんの書く文章はどれも素敵でした。ブラジルの女性シンガー・ソングライター、ジョイスが1980年に発表したアルバム『Feminina』はこの一節から始まります――「草原を駆け抜ける柔らかな風のように、木々を揺らす鳥たちのさえずりのように、彼女の歌声には自然のリズムにも似た安らぎが息づいている」。彼女の音楽について、端的かつイマジネーションを豊かにかき立てるような表現です。さらに、1960年にアメリカで録音されたラウンジ・ミュージックの名盤、ボブ・トンプソン『MmmNice!』ではこうです――「モダンなリヴィング・ルーム。ヴィクター・ハイファイ・ステレオからチャーミング・コーラスが流れる。ナイス・ナイス・ヴェリー・ナイス。アメリカが最も輝いていたころ、郊外に住む少年が抱いていたであろう“ある種”のファンタジーがここにある。」これもまさにハリウッド映画のサントラのような総天然色のサウンドを見事に映し出しています。
このようにして僕は、サバービア・スイートが紹介する音楽と、そこに付け加えられた吉本さんの文章を拠りどころにしながら、その道を歩んでいくのです。これらが、昨年6月のイベントの冒頭にお話しした部分です。次回は大学生になった僕が、渋谷のカフェ・アプレミディを訪れる辺りのエピソードを書きたいと思います。
【プロフィール】
山本勇樹
HMV本部にて商品バイイングを担当する傍ら、ラジオやUSENの選曲、数多くのライナー・ノーツや雑誌への寄稿を行い、2014年には書籍『クワイエット・コーナー~心を静める音楽集』を刊行。過去に文具ブランドのデルフォニックスや洋服ブランドのニシカとコラボレーションを実現。また友人の吉本宏と共にbar buenos airesの活動も行う。2016年にはモントルージャズ・フェスティバル50周年の公式リポートを担当した。2020年12月に韓国にてクワイエット・コーナーの新刊を出版。2021年8月には、7年ぶりの新刊『クワイエット・コーナー 2~日常に寄り添う音楽集』を刊行。
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